グランパ恋愛日記#1 ペペロンチーノを水洗い

カバー画像:CC0

自己紹介と、「グランパ恋愛日記」の説明

僕は30代の日本人です。彼氏は60代の米国人です。彼には孫がいるので、正真正銘のグランパです。ぼくたちの雰囲気を有名人で例えるなら、ミュージシャンの「岡崎体育」とアメリカ合衆国国務長官の「マイクポンペオ」がつきあってる、そんな感じです。

「国籍」「人種」「年齢」「性別」などといったカップルの要素のうち、どれか一つでもイレギュラーなら珍しいと言われます。でも僕たちは、全項目でイレギュラー。だからどんなコミュニティに属しても、いつもなんかの理由で浮きます。

そんなぼくたちについて綴ったのが「グランパ恋愛日記」です。

暮らしを記録したり、彼を観察したり、それらの感想を述べたりします。おじいちゃんとおにいさんが2人で暮らすテラスハウスみたいなものでしょうか。観察したいわけじゃないけど、2人きりだからばれちゃう。そんな、カップルのこぼれ話です。



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夕食

夕方に帰宅する彼とだいたい同じタイミングで、僕は夕食を作り始める。

家事を分担しているわけではない。彼は料理を労働だと思っているし、僕は料理を快楽だと思っている。それだけの違いだ。僕はただ、夕方に料理すると、その瞬間に何かがリセットされて、一日がうまくいった気がするから、そうするまでだ。

「主婦みたいに家事をするんだね、えらい」というヌメっとした称賛は、どんな国でも受けてきた。いつだか話した白人のキャリアおばさんは、「料理は楽しい」と僕が言った時、「働いてる?」と、なぞの表情で聞いてきた。そんな彼女の顔面は、僕の秘密の黒い部屋-こころ-に、今も額縁付きで記念してある。

思い出が増えるとコレクションも増える。収蔵物-あなた-に出会えただけで、こころの管理人の僕は忙しいのだ。

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漫画「HUNTER×HUNTER」8巻より。

老人

とにかくあの日、僕はペペロンチーノを作った。なぜなら、すぐ作れるし美味しいからだ。彼が腹をすかしているから、大好物だから、とかが理由ではない。むしろ彼にとって、好き・嫌いの二択だと、ペペロンチーノは嫌いなほうだと思う。なぜなら彼は「ミートソーススパゲティ」以外が嫌いだからだ。

彼の味覚は繊細だ。味が濃くてはいけないし、辛くしてもいけない。ハーブやスパイスの香りなどいらないし、油も炭水化物も、極力いらない。トランプ大統領の偏食(?)を面白おかしく実践する動画を初めて見た時、「これなら彼も絶対に食べられる!」と、この上なく参考になった。というか、ほぼ同じ食べ方をしていた。

アメリカの若者はそういう食べ方を茶化すのかもしれないが、同国の老人にとっては案外、理にかなった食べ方なのかもしれない。健康を気遣いながら好きなものだけ食べようとするなら、自ずとこうなる。言い換えると、好きなものしか摂取できないから、オーチャクな調整を余儀なくされて、不可解に見える。

融通が利かないものを矯正すると、たいてい、ぎこちないものが生まれる。

「一日、ドナルド・トランプみたいに食べる」というタイトル。

熱々

アメリカのおじいちゃんとして平均的な味覚を持つ僕の彼は、おやつとしてチーズやバターの塊を躊躇なくたいらげる。それなのに、ピザの表面でちびっときらめく油を紙で繊細に除去したりする。可視化された液体状の油にシビアなのだ。そんな彼にとっては、オリーブオイル(とニンニク)たっぷりのペペロンチーノなど、もってのほかだったみたいだ。

あの日はキッチンカウンターで対面で食べる日だった。僕が作る側で、彼が座る側。僕がアツアツのペペロンチーノを皿に盛って、目の前で着席している彼に渡す。「アツアツではない食べ物=冷たい悪い食べ物」という概念を彼は持っているから、温度が伝わる手渡しは地味に重要だ。これに関してはうまくいった。

温度にこだわるのは、彼の食前の儀式に関係している。

僕が「ごはんできたよ」の号令をかけると、彼はトイレに行って、シャワーを浴びて、服を着替えて、テーブルセッティングをやりなおして、グラスに水を注いで、ワインのボトルをあけて……などする。だから麺料理はたいてい、伸びて冷める。この儀式を省略できる「レストランのパスタ」は、(なぜか)アツアツなのに伸びてないから、彼の大好物だ。

しかし残念ながら、僕たちの家はレストランではないし、僕は料理人ではない。だから麺料理の延命チョイスは「伸びない」か「冷めない」の一択しかない。我が家では食のトリアージが日常茶飯事なのだ。あの日の僕の賢明な処置の結果、ペペロンチーノはアツアツであり続けた。彼は確かにそれを受け取り、一口食べてから、「熱くてオイリーでガーリキー*。」と言っていた。(*garlicky=ニンニクの匂いや風味がする) 

どうやら延命は成功し、「アツアツ」も「ペペロンチーノ」も、すべて無事に届いたようだ。これにて一件落着、と一度は思った。

風味

しかし彼はおもむろに立ち上がり、まだ山盛りのペペロンチーノの皿を、流し台に運んでいった。ごちそうさまか? でも彼の目の前には、さっき僕が麺の水切りに使ったザルが置いてある。すると彼は、そのザルに、ペペロンチーノをどっと流し込んだ。どうやら彼は、油を切りたかったらしい。まるで揚げたての揚げ物のように、ペペロンチーノを切る。私が切るべきは、麺でも水でもなかった。

丁寧に乳化したガーリックのうまみオイルが、もれるもれる。アーユルヴェーダのように尊い油が、なすすべなく排水溝に落下していく。こうしてペペロンチーノの油をしっかり切った後は、ニンニク風味の後始末だ。このままでは風味が強すぎるので、水でペペロンチーノを洗うのだ。余分な油は、その時にまた洗い流せる。なんだ、ごちそうさまじゃなかったのか。

十分にペペロンチーノを洗った後、彼は「この味がいいね」など言い、一気にたいらげた。

彼の幸せが、また一つ増えたようだ。

誰かの願いが叶うころ/宇多田ヒカル

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