イスラエル・エルサレムの「嘆きの壁」について解説

イスラエルのテルアビブに住んでいます、がぅちゃんです。

世界遺産「エルサレム旧市街」の敷地内にある、ユダヤ教最大の聖地「嘆きの壁」。1ページ目で「嘆きの壁」とは何なのかを解説し、2ページ目で実際の様子を詳しく紹介します。(服装やアクセスなどの観光情報も)

もくじ

イスラエルのエルサレムについて

P1:嘆きの壁とは、そもそも何か

・嘆きの壁の本体「エルサレム神殿」について
・嘆きの壁では何を嘆いているのか
・1900年ぶりに「奪還」した嘆きの壁
・「嘆きの壁事件」とは

P2:観光地としての「嘆きの壁」

・嘆きの壁広場への入場
・ウィルソンズ・アーチ
・西壁の地下トンネル
・ジェネレーションズ・センター
・嘆きの壁/Kotel

イスラエルのエルサレムについて

「エルサレム/Jerusalem」とは、 イスラエルの「エルサレム地区」にある、都市のエルサレムを指します。イスラエルは首都と主張していますが、国際的には認められていません。人口は約90万人と、国内最大規模。

エルサレムの位置。

イスラエルが実効支配しているとも言われる地域「東エルサレム/East Jerusalem」には、世界遺産の「エルサレム旧市街」があります。そこに三つの聖地「イスラム教の岩のドーム」「ユダヤ教の嘆きの壁」「キリスト教の聖墳墓教会」が存在します。

左から、「岩のドーム」「嘆きの壁」「聖墳墓教会(詳細記事)」。

エルサレムの概要はこちら

「嘆きの壁」とは、そもそも何か

「嘆きの壁」とは「大昔に破壊されたエルサレム神殿の、西側の壁」です。ここで祈るユダヤ教徒が嘆いているように見えることから、「嘆きの壁/Wailing Wall」と呼ばれるようになりました。国際的には「西の壁/Western Wall」の名前が一般的。

嘆きの壁で祈る、現代のユダヤ教徒。

嘆きの壁は巨大で、幅が490メートル・高さが19メートルあります。地下にはさらに、13メートルの壁が埋まっています(2ページに詳細)。(全体の一部である)地上の幅57メートルの部分が、現在の「嘆きの壁」です。

「嘆きの壁」=「エルサレム神殿の西壁の一部」。

嘆きの壁の本体「エルサレム神殿」について

「エルサレム神殿/Temple in Jerusalem」は、大昔からユダヤ教徒にとって礼拝の中心地であり、唯一神「ヤハウェ」を祀っていました。ヤハウェは「エホバの証人」の「エホバ」のことです。「Yahweh/YHWH/Jehovah」と綴ります。

エルサレム神殿(第二神殿)の1/50モデル。Original image:CC0

エルサレム神殿の第二神殿*は、紀元前20年にヘロデ大王によって建築され、西暦70年にローマ軍(キリスト教徒)に破壊されました。この破壊活動が「エルサレム攻囲戦」で、ユダヤ人が離散した最大の原因とされています。

「エルサレム攻囲戦」を描いた絵画。矢印がエルサレム神殿(第二神殿)。Original image:CC0

「第二神殿」とあるように、エルサレム神殿は3種類(時代)に分類されます。「第一神殿」「第二神殿」「ヘロデ神殿」です。嘆きの壁の本当の正体は「ヘロデ大王が第二神殿を拡張して作ったヘロデ神殿の西側の壁」です。

ヘロデ神殿(=第二神殿)の模型。Photo by Ariely

エルサレム神殿の分類

第一神殿=ソロモン神殿/Solomon’s Temple 紀元前1000〜紀元前586年まで存在。
第二神殿/Second Temple 紀元前516〜西暦70年まで存在。
ヘロデ神殿=第二神殿(のうち西暦62〜64年頃に完成した部分)/Herod’s Temple

エルサレム神殿が立つ「神殿の丘」

現代の「神殿の丘」の地図。Image by 北谷2

かつてエルサレム神殿が存在した場所は「神殿の丘/Temple Mount」と呼ばれています。観光地となっている現在の「嘆きの壁」は、「神殿の丘」の西側の壁の外側にある「嘆きの壁広場(2ページに詳細)」から訪問します。

赤枠が「神殿の丘」、青枠が「嘆きの壁広場」、青と赤の接触部分が「嘆きの壁」。Original image by Andrew Shiva

現在の神殿の丘には、イスラム教第三の聖地「岩のドーム/Dome of the Rock」があります。神殿の丘への入場は、イスラム教徒以外は「モロッコ門」からのみ。 岩のドームは入場無料ですが、イスラム教徒以外は入場できない時もあります。

岩のドーム。Photo by Andrew Shiva

嘆きの壁では何を嘆いているのか

ユダヤ教徒が嘆いているのは「エルサレム神殿の崩壊」と言われています(ソロモン神殿も含む)。それ以外にも、「エルサレム神殿の再建」と「メシア*の再来」についても祈っていると言われています。

エルサレム神殿の崩壊(エルサレム攻囲戦)を描いた有名な絵画。Image:CC0

嘆きがピークに達する記念日「ティシュアー・ベアーブ」

年に一度、ユダヤ教徒が最も嘆く特別な日が存在し、「ティシュアー・ベアーブ/Tisha B’Av」といいます。 ユダヤ暦で「アブ/Av」月の「ティシュアー/9」日を意味し、ユダヤの歴史で最も悲しい日とされています。

西暦では7月〜8月にあたり、現代のイスラエルでは休日となっています。 ユダヤ教徒は前日の日没から25時間の断食を行います。当日は、ユダヤ系イスラエル人の4%にあたる約25万人が嘆きの壁を訪れると言われています。

ティシュアー・ベアーブの様子@嘆きの壁広場。

*余談:メシアとマトリックスとカルロスゴーン

映画「マトリックス/The Matrix」は聖書の世界観をオマージュしていて、主人公でメシア(救世主)のネオが「ザイオン/Zion」を救うという物語。「Zion」はイスラエル建国の基礎概念「シオニズム/Zionizm」の語源で、エルサレムを意味します。

マトリックスのテーマは「人類と機械の戦争」ですが、ユダヤ教の禁忌にも「機械の使用」が含まれます。週末(安息日)は機械の使用が禁じられているため、イスラエルの家電製品には「安息日モード」が搭載されています(2ページにも登場)

ちなみに、ネオ役の俳優「キアヌ・リーブス」は、イスラエルの隣国・レバノン生まれ。レバノンにゆかりがあるといえば、カルロスゴーンもそうです。なお、レバノンとイスラエルは敵国同士です(だからカルロスゴーンはイスラエル入国罪で騒がれた)。

主題歌を歌う「Rage Against the Machine」は、直訳で「機械に対する憤怒」。

1900年ぶりに「奪還」した嘆きの壁

ユダヤ教徒が嘆きの壁で自由に祈れるようになったのは、1967年の「第三次中東戦争/Six-Day War」以降(1948年にイスラエルは建国されましたが、当時のエルサレムはヨルダンの支配下)。1967年に、武力で地域ごと奪い返した形となります。

1967年からイスラエルが実効支配し続けている(と言われている)地域が「東エルサレム」です。嘆きの壁などの全聖地を含む「エルサレム旧市街」がそこにあります。国際的には、東エルサレムはイスラエルの領土ではないと言われています。

緑が東エルサレム(パレスチナ側)。黒枠がエルサレム旧市街。Image by Adam Adom

とはいえ、西暦70年〜1967年まで土地を追われていたユダヤ人からしてみれば、「もともと自分の土地だった場所に1900年ぶりに帰宅」というスタンスです。 この壮大な帰宅願望が「シオニズム」という思想で、イスラエル建国の基礎になっています。

イスラエル建国時の戦争(独立戦争)は、アラビア語で「大災厄/النكبة‎,」と呼ばれています。これに伴うパレスチナ難民の数は約70万人。イスラエルが建国を記念する時、パレスチナでは災厄を嘆くという真逆のメモリアルが存在します。

アメリカ人ミュージシャン「DJ Khaled」の両親はパレスチナからの移民。

「嘆きの壁事件」とは

エルサレムが「イギリス委任統治領パレスチナ」だった頃の、1929年8月23〜29日に起こった一連の暴動のことです。パレスチナ各地で起こったユダヤ人とパレスチナ人の武力衝突を指し、英語で「1929 Arab Riots in Palestine」と表記されます。

エルサレム旧市街を去る、当時のユダヤ教徒。Image:CC0

シオニズム運動によるパレスチナへのユダヤ系移民が増え、現地のアラブ人とトラブルが増えたという背景があります。そんな中、ユダヤ人が「ティシュアー・ベアーブ」の日に嘆きの壁で集会を行ったことが、事件の発端の一つと言われています。

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