
この記事は、文章の作品を配信するサイト「note」で、ネットニュースのサイト「ねとらぼ」が募集したコンテストに応募した作品です。コンテストのテーマは「#私だけかもしれないレア体験」。
「あいつCIA」が口癖の男だった。
「天皇と喋った時に」とも言っていた。彼は、アメリカの政治家「マイク・ポンペオ」に似ている。国際恋愛というやつか、それが我々だった。東京でのことだ。
彼は、海外転勤を繰り返す人だった。中東のイスラエルに転勤するため、アメリカで一旦、訓練を受けることになった。
私もついていく。
ドラマ「ストレンジャーシングス」の町みたいな田舎にある学校に、彼は1週間ほど通った。ホテルから車で学校に通う。私はホテルにいる。放課後、車で私をさらって晩御飯を食べに行き、ホテルに戻る、の繰り返し。
ある日、宿題が出た。「放課後に車で尾行するので、気づいたことを報告しなさい」という問題。私も巻き込まれた(ここがミソである)。あの放課後は、ここは教習所かってくらい後続車に注意した。
宿題には、条件がひとつあった。
「気づいたら、気づいたことに気づかれずに、しかるべき人間に報告すること」。ツイッターとかで、黙って通報するのと同じだ。訓練しないと難しいことなのか。へんに納得する。
車を数えていた我々は眠くなってしまい、急遽、道ばたのDQに寄り、一緒にソフトクリームを舐めた。我々は、完全に宿題をサボった。

フェイスブックのタイムラインに、マイク・ポンペオの写真が流れる。本物のほうだ。(偽物の、というか私の)マイク・ポンペオの友達が、(本物の)マイク・ポンペオと自撮りをかましていた。
「ポンペオ氏、イスラエル入植地を訪問 米国務長官で初」と騒がれた出来事である。そのころ、我々もイスラエルにいた。ついに訓練の成果を見せる時がやってきたのだ。
そして隣国のパレスチナから、ロケット弾が飛来した。
空襲警報が鳴り、アパートの防空壕に避難し、ドォーンと聞こえるも、難を逃れる。はっきり言って、あの訓練は役に立たなかった。やはりソフトクリームを舐めてて正解。

私のマイク・ポンペオが入院する。そこにコロナがやってくる。最悪の流れ。まだワクチンは開発されておらず、皆がパニック。流れで、私の名前がコロナになった。
マイク・ポンペオの回復には、手術を要した。そこで急遽、アメリカから娘が飛来し、彼をさらっていった。彼女には、ふざけてる暇は無さそうだった。ソフトクリームなんて、もちろん舐めてない。
彼は奪われた。私に言わせれば。コロナより恐ろしい話。
「東日本大震災もそんな感じー」と、彼女は言う。当時、彼らは東京に住んでおり、娘だけアメリカに緊急帰国したらしい。私はというと、3月11日の午後は、いつもどおり塾に向かっていた。

「父は嘘をつく」と娘は言う。
アメリカで、おうちごはんしてる時だった。当人のマイク・ポンペオはというと、ニヤニヤしながら、その場から逃げた。
マイク・ポンペオは、退院ついでに引退し、家を買い、平和に暮らしていた、アメリカで。そこに私も合流する。その頃にはワクチンも開発され、我々はコロナのことを舐めていた。
しかし娘はそうでない。
働きながら2歳児を育てる娘は、我が子のように父を心配する。マイク・ポンペオはというと、血をサラサラにする薬を酒で飲み、現役時代は控えていたマリファナも食べるようになった。クラブとかにもぜんぜん行く。
つまりは一般人になったのだ。尾行もテロも、もう警戒しなくていい。敵は高血圧。己との戦いだ。
マリファナは合法なのでいいとして、クラブは娘が許さない。「このタイミングで、人が集まる所に行くなよボケが」という彼女の主張は、一貫していた。まともな人である。怒らせたくない相手。
でも父は嘘をつく。ごめん娘。知ってるね。
あなたのダディは、CNNが言ってたクラスターパーティにも参加したし、ヌーディストパーティにも参加したし、カドルパーティにも参加したし、フォレストレイヴにも参加したし、やんちゃな気体も経鼻吸引した。
コロナ時代のギャングスタ。彼は、不良生活をこれでもかと謳歌していた。



彼と私は、家を買うまでの間、(のちにクラスターパーティで騒がれる)パーティタウンの「プロビンスタウン」に滞在していた。そこに、娘一家が訪れる。娘、娘の夫、彼らの2歳児、の3人で。

ハロウィンシーズンだった。
同性愛者が極端に多いプロビンスタウンでは、かわいい夫と2歳児は、注目の的。2人が歩けば、芸能人でも来たのかという盛り上がり。昼のストリートで、たいそうな人気だった。
大黒柱の娘はというと、「この日ばかりは仕方ない」と、沸きあがる幸福を制御できない様子。夜になり、「みんなでトリック・オア・トリートしに行こうぜ」と、夫が言う。2歳児もノリノリだ。お昼寝なしでハイになってる。
マイク・ポンペオはというと、だるそう。お昼寝をしなかったからだ。
娘と私の我々は、陽気な2名を見守る形で、トリック・オア・トリートに参戦した。2名がひとんちを襲って喜ぶ様子を、見守り続ける。幸せな光景ではある。

我々はもう傍観するほかないね、と朗らかに呆れた時、娘が言った。
「They think I’m a bitch.(なんやねんあの女、と思われてんのやろな。)」
男性の同性愛者だらけの町で疎外感を感じたようで、「嫌われているのでは?」という本音が漏れていた。父がだるそうにしていた事と、無関係ではないだろう。可哀想に。
私は、娘のことが好きだった。だからと言ってはなんだが、この時ばかりは、くさい事も言えちゃう気分だった。
「Bitch, that’s a compliment here. You know that.(姐さん、それ褒められてまっせ。)」
とか、言えればよかったが。
あなたのダディとお別れして、つまり、あなたたち全員とお別れした今となっては、どうしようもない。とりあえず、私がBitchと言うとき、それは誉めている。とりいそぎ。

彼女には妹がいた。
父を助けにイスラエルまでぶっ飛べる長女とは逆で、次女は、父に飛んで助けに来てほしい人だった。
彼らは愛し合っていた。
次女は、父との交流に緊急性を見出していた。奪還する気だ。父の名を子につけたのも偶然ではないだろう。父は私のもの? ホー。「求めよ、さらば与えられん」ってやつだろうか。私は、妊娠できない自分を恨んだ。
次女は、よく泣く。
宅飲みとかの時も、父がバイバイする時は、見ているこっちが申し訳なくなるほどだった。そしてたいてい、不満そう。
私がいたからだね。ごめん娘。
でもそんな時は、彼がやさしくキスしてくれる。彼女の口に。そして帰りの車内で、俺がえずく。
「あいつbitch」が口癖の男だった。
50 Cent – I’m The Man(この記事のテーマソングです)